『諦める』という行動をとる人は多いと思うのです。
その話を他人にすると
「なんで諦めるの?」
「そのくらいで諦めちゃうの?」
と言われたりします。
言われた本人はそんなことは分かっていると思うのです。
仕方なく諦めている訳ですから。
世間ではここで終わりかもしれません。
しかし、
諦めるとたいがい未練が残ります。
結局、諦めきれない訳です。
で、代用品で済まそうとする。
しかし、
代用品なので「諦めきれない」←無意識
この繰り返しになっていきます。
すると、弊害が出てきます。
『何かを消費』していくのです。
無意識に何かを消費していく。
しかし、そこにはもっともらしい理由があるのでやめられません。
では、
『何を消費しているのでしょうか?』
たとえば
時間だったり、
お金だったり、
物だったり、
愛だったり、
信頼だったり…
するかもしれません。
本来、循環するものを消費していく行為につながっていることに気付いている人は多くないと思うのです。
『諦める』という言葉の由来は
あきらかにしてみる
です。
詳細を明確に観察してよくみること。
やめることではない訳です。
あきらかにしてみた結果、やめることが多かったから
意味合いが変わってきているのだと思うのです。
せっかく、諦めるのであれば
あなたが何を消費しているか?
まであきらかにするといいと思うのです。
循環させないで、消費している物ごと。
無意識のうちにやっていること。
ここをあきらかにしていく作業をすると
現実は変わっていきます。