昨日久しぶりに15年来のスピ友達と会って話をしました。
いわゆるオカルト的なスピリチュアルの話も含め話をした訳ですが、
目に見えないものの認識というものを改めて不思議だなぁと感じました。
オカルトというと敬遠されがちですが、
私は自分の体験も含め『ある』と思っています。
私個人としては体験したことのあることなので、もちろん『ある』ことが当たり前になる訳です。
改めて『認識』によって存在することがあやふやになる。
そこに不思議を感じる訳です。
認識によって存在が決まるのであれば
当たり前なんですが、人によって違う訳です。
ですから『ない』という人を否定する訳でもありません。
では、なぜ人によって認識が違うのでしょうか?
ウィキペディアなどで調べてみると
認識とは、物事を見分け、本質を理解し、正しく判断すること、またそうする心の働き
という意味だそうです。
物事を見分けるだけでなく
本質を理解する
も入ってくることに驚きました。
本質を理解している
どれだけの人が本質を理解しているのでしょうか?
体験をしたからといって、本質が理解できるとも思いません。
ただ、体験をしていれば自分の中でだけ判断することはできます。
私はオカルト的なことも含め、スピリチュアルや精神世界のこと
人間のこと、体のこと心のこと、
この世のこと
それらの本質を理解したいと思い、日々精進している訳です。
そう考えてみると世界は不思議だらけだと思うのです。
なぜなら、知らないことが多いからです。
本質を知ることが認識することなら
科学的な面からも理解したい。
理論的に検証したい、そして確証を持ちたいのです。
そうすれば、不思議なものももっと認識しやすくなると思うのです。
自分の認識がどんなものかが分かっていれば、
物事の本質が見え、見分けることができ、判断できるということです。
もし現実に問題が起きているのだとすれば、ここを把握するだけで、改善することや解決することができると思うのです。
と認識の話をしていましたが
私はオカルト的な体験を色々としているので、友達は面白がって聞いてくれました。
面白いという認識があれば思い詰めることなく恐ろしい体験も受け入れることができるかもしれません。
ある意味では他の人よりもスペクタクルな体験ができているので、
いいか悪いかは別として面白いなぁと思う訳です。
昔は全く受け入れられませんでしたが、
ある時期から見えるんだから仕方がないと受け入れられるようになりました。
これも認識を変えただけなのだと思うのです。
自分の認識がどんなものなのか、時間を作って確認してみるのもいいのかもしれません。