仕組み

自由を選びたいけど罪悪感がある人へ

SESHENというのは古代エジプト語で『蓮の花』という意味です。


私は昔から蓮の花が好きで、
仏教ではよくモチーフで使われています。
お釈迦様の台座になってたりします。

蓮は泥の中から目を出し、水面上で花を咲かせる。

ここから、

暗く苦しい状態からでも誰でも『自分』という本来の花を咲かせることができることから命名しました。

それを軸に私の活動もここ数年形を変えてきました。
それに合わせて、再度コンセプトを練り直しました。

『libertatem』
 

自由です。
解放といった意味合いを含む自由。

Win-Winの世界と表現していましたが、
今はこちらの方がしっくりきます。

『自由』

枠から解放されるような自由。
社会的な枠からの解放。
『尊きものの特権』である自由。

これを選んでいいというコンセプトです。
そして、選びたいのであれば誰でも選べる。

その道標としての表現がこのブログであったり、

他のメディアや治療の内容です。

誰かを蹴落としたり、貪ったりとは
真逆になっていきます。

否定もありません。
損得で勘定することもありません。

価値や意義といったことではなく、
存在として
尊きものの特権として
自由になる。

これを究極の自己中心と表現している訳です。

その仲間を増やしていきたい。
そう思っているのです。
 

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