鍼灸マッサージ治療院SESHENの星谷徳梨です。
改めまして、今日は私の活動内容についてお話しようと思います。
簡潔にいいますと、
目に見えない(認識できない)世界の仕組みを見える化する(認識する)
という活動をしています。
これは学問が発達していく過程に近いと私個人では思っています。
ご存知の方も多いと思うのですが、古代では学問を研究していたのは宗教家です。
ですから目に見えないものがサイエンスで検証できないというマインドはナンセンスです。
古代の教職者は『神の御業を解明』するために学問を研究しました。
言い方を変えると、
『見えないものを見える化した』
ということですね。
有難いことに、このように歴代の教職者たちが『見えないものを見える化』してくれたので、
その理を使ってさらに見えないものを見える化しようと出来るのです。
ここまで読んでお察しの方もいらっしゃるのではないでしょうか。
そうなんです。
義務教育で習う国語算数理科社会のような
『基礎科目』の重要性が感じられると思います。
この世界の仕組み=理を
誰にでも見えるようにしたものが学問です。
ということは、
基礎科目は人生を切り拓いていくためのツールになります。
ここを疎かにしていたら
人生を上手く切り開いていくことが難しくなってしまいます。
しかし、もしそれを知らなかったとしても
そこを自覚するところから始めればいいのです。
これが古代の哲学者ソクラテスの『無知の知』ということです。
無知を知るところから始めようと解いたのですね。
私はこういったことが身に付いて日常生活で取り扱えることが
インテリジェンスが高いことだと定義しています。
私はそんな人を増やしたいと思っています。
もちろんソクラテスの提唱している内容だけといったことではありません。
必要なこと全てを身に付けて自分の人生を切り拓いていくのです。
そういった事をお伝えしているのが私の、そしてSESHENの活動です。
少し注意したいのは、
一部を切り取って分かったつもりになってもそれは身に付きません。
ここは気を付けたいところです。
そして当たり前のことですが、
都合よく解釈したり、受動的では身に付きません。
学ぶ・身に付けるという仕組みを知っていたら理解ができますが、
学ぶ・身に付けるというのは、能動的なのです。
ここが重要なポイントです。
学ぼう、身に付けよう、としない限り、できません。
能動的でないと納得もできませんし
苦しくなってしまいます。
受動的とは『誰かにやってもらおう』マインドです。
このマインドでは学べないのです。
シビアな話になってしまいますが、身に付けることができません。
これは学ぶという仕組みがあるからで、
この法則を無視することはできないのです。
それが自然の摂理だからです。
ですから、受動的→能動的
になってから学ぶといいと思います。
ここまでの私の話が疑わしいものと感じていらっしゃる場合は、
もちろんそれでもいいと思います。
その場合は相性が合わないというだけですので、
そこに気を揉んでも意味はありません。
ですので、気にせず他へのアプローチをかけていってくださいね。
そこで止まってしまうと流れが滞ってしまうので、
行動に移していくことが大事だと思います。