仕組み

実体験を伴わない認識

いつから実体験がないのに

その体験をしたかのように

自分が情報を扱ってしまうようになったのでしょうか?

人から聞いた話で、

自分が体験している訳でもないのに、

その評価をしてしまうということの危うさを

どう判断するでしょうか?

自分がされた訳でもないのに

誰かにやっている嫌なことを

その間に割って入って断じてしまう。

これはもしかしたら

日常でよくある風景かもしれません。

実体験の伴わない認識に支配されている

ということに他ならないと思うのです。

本来は自分の実体験により判断すること。

それがどこからか得た情報を

基準に判断しているということに

気づいている人がどのくらいいるでしょうか?

実体験を伴わない認識に支配されていると言うことは、

もしかしたら幻想の世界とそう変わらないのかもしれません。

こんなことを書くと誤解が生まれるかもしれませんが、

実はそんなにずれた話ではないと思うのです。

こういうことを回避するために

できるだけ自分の実体験でもって

判断する基準を作ってあげるといいと思うのです。

自分の目で見て

自分で聞いて

自分で確かめる。

これを繰り返していくことによって

実体験のある認識になる。

これを知っているだけで

自分の認識している世界が

どういうものかが理解できると思うのです。

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