仕組み

満員電車でイラっとしてしまったら

満員電車で通勤や通学している人にとって
これ程うんざりする空間はないと思うのです。

そしてその空間で日々小競り合いが行われていたりします。
小競り合いで周りの人にイラッとしてしまうと思うのです。

小競り合いと書きましたが、
何が起こってるのかというと
自分の位置をキープする為に押し合う
少しでも周りより心地よくいようとする
周りが気になって縮こまってしまう
周りに迷惑が掛からないように気を使って疲れてしまう
などがあると思うのです。

そもそも上記ってする必要があるのでしょうか?
それを言ってしまったら身も蓋もないし、
満員電車に乗らなくてもいいんじゃないか?という話にまでなってしまうと思うのです。

あとは周りの人がグイグイ押してきたり
横の人のイヤホンから音が漏れてくる
とかでイラッとしたら
相手をどこかへ押しやるよりも

自分がその場を離れてしまう
という行動を選択してもいいと思うのです。

とはいえ
寄りかかって来て体重を掛けられたり、
周りの人がスマホを見るために自分に何かをして来たら
イラッとしてしまうのは仕方がないと思うのです。

ここで、イラッとするのがいけない訳ではないということです。

しかし、1度イラッとすると
その事が頭から離れなくなってしまいます。

イラッとすると
人はどんな行動を取りたくなるのかというと
相手にやられた事をそのまま返そうとします。

そのままの行動を返すことによって
こちらが迷惑だと同じことをされて嫌な気持ちになれば気付いてもらえると思うからかもしれません。
もっと言えば
行動を改めてくれて、こちらに謝罪して反省してくれるかもしれないと望んでいるのかもしれません。

さて本当にそうでしょうか?

大概はそんな事は起こらないですよね。
舌打ちされて、もっと嫌な気持ちになる
くらいだと思うのです。

そしてまたイラッとして
やり返して……と小競り合いになっていきます。

これでは
全く解決に至らない上に
益々嫌な気持ちになるだけです。

しかもその事で1日が台無しになってしまったりする訳です。
想像しただけでもガッカリ。

ではどうしたらいいのでしょうか?
手掛かりは自分の無意識のルールにあると思うのです。

例えば
人に迷惑を掛けてはいけない
という義務のルールや
同じ事をされれば気づくはずだというルールによる推測、
後から来た人は慎むべきというルール
混んでいるのだからスマホを見るのは我慢すべき
などがあると思うのです。

正当化されてるように聞こえますが
本当にそうでしょうか?
自分が我慢しているのだから、周りも我慢を強いる事は本当に正しい事なのでしょうか?

似たようなルールを持っている人であれば小競り合いにはならないと思うのです。

しかし、無意識のルールは人それぞれ。
誰かに自分のルールを強いることは
しない方がいいと思うのです。

みんな我慢しているのだから、平等だと
言うのであれば
自分も誰かにルールを強いられてもいい
ということになってしまうと思うのです。

それはとても窮屈で嫌な事だと思います。
自分がされて嫌なことは
相手もにしない
シンプルに考えれば分かると思うのです。

考え方は分かるけど
それじゃ自分が我慢すればいいってこと!?
となってしまいガチですが、
我慢して犠牲になれという事ではありません。

嫌だなと思ったら、その場から離れるという行動を選択するのは自由なのです。

そして、その場を離れないという選択をするのも自由。
その場を離れたくないのであれば、
肩の力を抜いて
身体中の力んでいる、緊張している所を
見付けて、呼吸しながら緩めてみてください。

そして、イラッとした理由が
自分の無意識のルールを見付けるヒントになりますから、そのヒントを探してみて欲しいのです。

そのルールが義務だったり
自分がルールを強制されて嫌だなと感じたら
そのルールが自分を雁字搦めにして
苦しめているかもしれないと気付くだけでも

その体験を通して楽になっていくプロセスなんだと
さらに大きな気付きに繋がると思うのです。

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