目に見えないものの取り扱いは難しいと思うのです。
見えていることが当たり前の人には
嘘でも偽りでもありません。
しかし、
見えていない人にとっては
嘘ですし、偽りです。
何故なら確証がもてないからです。
ここで大事なポイントは
嘘か偽りか?
と議論するのではなく
自分はどう感じるか?
だと思うのです。
見えないけど信じてもいいし
見えないから信じられないでもいいと思うのです。
逆に
見えてるけど信じないでもいいし、
見えてるから信じるでもいい訳です。
案外信じてる人も
綺麗なものは信じるけど、
怖いものは見たくない
など不思議な事を言う方もいらっしゃいます。
目に見えないという時点で
どちらも見える訳ですから。(混乱)
それは目に見えないモノを信じるとは
似てるけど違うものなのではないか?
と思うのです。
そして、
自分の現実に都合よく
『見えない世界』を理由にされる方がいらっしゃいますが、
これもどうなのか?と思うのです。
現実の世界に
見えない世界を持ってくるのは
どちらも理解してから…
がいいと思う訳です。
目に見える世界の中で分析するのが道理だと思うのです。
その後でどうにも道理が通らない時に
初めて見えない世界を分析する。
この順番を飛ばしたら
おかしなことになってしまうと思うのです。
見えない世界は
スペクタクルでとても刺激的ですから
興味が湧きます。
しかし道理を間違えば
おかしな事になると念頭に入れつつ
取扱う事が大切だと思うのです。