感情の仕組み

死にたいと思う時

改めて人の生と死について考えることが増えていると思うのです。

死ぬとはどういうことなのでしょうか?

哲学的な話になりそうです。笑

倫理観みたいなことも絡んでくると思うのです。

とはいえ、難しいことは置いておいて

「死にたい」と

思うことは少なからずあると思うのです。

これって、

『死んだら楽になる』という前提からくる考え方だと思う訳です。

ここでよく考えてみて欲しいのですが、

何で死んだら楽になる確証があるんでしょうか?

誰が言ったんでしょうか?

『死』は誰にでも訪れる

ある意味平等のモノだと思うのです。

しかし、

誰も知りません。

知らないのに確証があるのは

とても不思議なことに思えるのです。

実社会では多くの人は

『目に見えないもの』には否定的です。

それなのに

『死んだら楽になる』という概念に

確証を持っている。

まあ、肉体は朽ちるので

ある意味楽になると言えるのかもしれません。

楽になるというだけでなく

もしかしたら

生きることに絶望していたら

とても魅力的に感じるかもしれません。

「死にたい」と思った時

何かに絶望しているのだと思うのです。

絶望して、希望が持てなければ

死にたくもなる。

当然のことだと思うのです。

絶望した時に

『希望を持て』と言われても

そんなことは無理な訳です。

希望を見い出せないから

絶望しているのですから。

大事なことは

何に絶望しているのか?

が見付かると

どこかに一縷の望みを見出すことができると思うのです。

絶望している時

1人でこれをするのはシンドイと思います。

誰かに頼れたら頼る。

誰もいないと絶望していたら

専門家に頼ってもいい訳です。

自分の身近な人に頼るのではなく

第三者に頼る。

全く人生に関係ない人に頼るといいと思うのです。

何が言いたいかというと

他の手立てをしてみて欲しいと思うのです。

それはもしかしたら簡単なことかもしれません。

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